新自由主義による経済格差の拡大が見られる。
主な原因として、資本家/投資家と労働者では蓄財速度が大きく異なることが考えられる。これは、労働がスケールしない一方で、資本は複利効果により指数的に増やせることが一つの要因であるが、別の理由として、競争構造の違いも大きく関係していると思い至った。
定性的構造上、資本提供は労働提供よりも競争が少ないため、需給が相対的に逼迫しやすく、結果として市場経済におけるリターンが高くなると考えられる。
資本が労働より競争が少なくなる定性的構造とは何か。これを説明するには、「椅子理論」の説明から入らねばならない(※白鳥的椅子理論から着想を得ており、過程は異なるものの、結論はほぼ同じである)。
まず労働から考える。労働者として被用者を想定する。
被用者の年収水準は何で決まるか?当然ながら労働需給であるが、これはスキルのみで決まるのではない。実際、全く同じスキルを持つ経理が2人いるとして、潰れかけの会社と財閥系商社では、報酬水準が大きく異なる。
収益性の違いに伴い一人あたり報酬プールが異なるため、報酬水準の違いは自明と思うかもしれないが、自明ではない。高収益企業であっても、潰れかけの会社から低い報酬水準で人材を引き抜ける場合、労働価格は純粋なスキル市場における均衡点へ収束するはずである。労働市場がそうなっていないのは、スキル以外の要因が働くからである。
ではスキル以外の要因とは何か。組織の団結力を向上し、報酬配分を巡る争いを避けるため、組織内の報酬水準を均一化する努力が主要因と考えられる(営業部員が基礎年収3,000万円、経理部員が基礎年収300万円の組織で、両部門が関係を良好に維持することは困難である。経済格差による国家分断と同じである)。
従って、社内の報酬格差は、純粋スキル市場の需給から導出される水準よりも平準化される。この平準化された報酬水準は、各企業の一人あたり報酬プールの水準をベースに決定されるので、スキル需給の均衡点に収束せず、企業間に差が生まれる。さらに、同一業界に属する各企業が、類似企業の平均的報酬水準を主な参照点として人材の獲得競争を行う結果、業界単位でも内部平準化および外部格差への圧力が発生する。
すなわち、被用者の報酬水準、つまり労働リターンは、スキルのみならず、「どの業界の、どの企業に雇用されるか」、つまりは「どの椅子に座るか」が重要となる。これを「椅子理論」と呼ぼう。
さて、この椅子理論を前提にすると、労働には椅子を巡る3つの競争があることが分かる。一つ目は適切な椅子を見極める競争。二つ目は椅子に座り始める競争。三つ目は座り続ける競争である。それぞれ、職の探索、獲得、維持に関する競争である。つまり、労働者は常に3つの競争に晒されている。
一方で資本家/投資家はどうか。
資本家/投資家として、二次流通市場の株式投資家を想定しよう。
株式投資における椅子とは株式である。では株式投資家は、椅子に座る上で労働者のように絶えず3つの競争にさらされているであろうか。
否、一つだけである。適切な椅子を見極める競争にのみ晒されている。実際、椅子に座る(株を買う)のはクリック一つで、座り続ける(株の保有)のは私的所有権により、確実に実行され、競争はない。
従って、上記の観点からは、二次流通市場の株式投資家は労働者よりも競争に晒されていないと言える。
オーナー経営者や賃貸不動産投資家といった他の資本家/投資家層も、株式投資家よりは労働性が強い面があるとしても、高リターンの源泉である資本において、競争が相対的に緩いので、純粋な労働者よりは競争に晒されていないと言える。
競争における非対称性は何をもたらすか。
投資家は競争の緩さから、労働よりも高いリターンを得て、資本を大きく増やす。大きな資本は希少性が高まるので(大口のほうが小口投資より嬉しい)、需要が増える。結果として、さらに高いリターンを見込める。このループを回し続けることで、指数的な蓄財が可能となる(米国の大手VCは、このループを高速回転して成長した)。
そのような指数的成長をもたらすループ構造をもたない労働者との格差は、広がる一方である。
従って、資本家/投資家と労働者の格差は、資本と労働の本質的な競争構造の違いに起因するため、競争政策では是正できない。唯一の解決策は、金融資本への増税である(そもそも多くの国において、資本は競争構造のみならず税においても労働より優遇されており、歪みが悪化している)。
しかしこれには、立法および行政上の国際協調作業が必要となり(自国だけ増税すると資本逃避により労働者がむしろ損をする可能性がある)、相当に困難である。
それでも、困難にめげず、格差是正を掲げる各国のリベラル政党が主となって、グローバル・ミニマムタックス等の制度が準備されてきたが、当の労働者(=大衆)がトランプのような格差是正政策を潰す人物を当選させてしまうので、先行きは暗いと言わざるを得ない。
というわけで、現代社会は労働をせずに資本リターンで生きていくことを奨励する構造となってしまっており、当分の間変わりそうにない。