金銭価値と社会価値の相関が下がり過ぎではないか?(前編)

Meta社(旧Facebook)の時価総額は1兆ドル(今は1ドル150円程なので約150兆円)で世界7位、Mark Zuckerbergの保有資産は1400億ドル(21兆円)で世界5位である(2024年1月26日現在)。

時価総額で事業の社会的意義を測る場合、Meta社は世界で7番目に社会的意義のある会社である。

片や、日本の大手10電力会社の時価総額を合計すると6.9兆円である。
150兆円であるMeta社の4.6%22分の1である。

事業地域がバラバラな状態で時価総額を比較しても意味がない?
では頑張ってMeta社の時価総額から「日本市場に相当する部分」を抽出して、改めて日本の全電力会社と比較してみよう。
また、日本の全電力会社の推定時価総額も出そう。

Meta社:10.4兆円(売上で按分。具体的な計算は本記事の末尾参照)
全電力会社:10.2兆円(発電量で外挿。具体的な計算は本記事の末尾参照)

Meta社は全電力会社とほぼ同じ価値があると出た。

ここで読者に質問:
いま突然に企業が消滅した場合、社会的損失が大きいのは、Meta社と全電力会社のどちらか。

自明と思うが一応書くと、電力が消滅すると医療・水道・ガス・鉄道等が壊滅するため、人がたくさん死に生活レベルが120年以上後退するのだが、FacebookやInstagramが消滅した場合は何が起こるだろうか。

少なくとも私に関しては、まるで何も変わらない
つまり私にとって、Meta社もMark Zuckerbergも、語弊を恐れずに言えば「極めてどうでも良い存在」である。

一方で電力がなくなると、私や私の家族が死ぬ可能性があり、死なないにしても上記のとおり生活が激変する。

これは、程度に差があれど、私以外の全人類においても同様だろう。

逸話的ではあるがこれが意味する所は極めてシンプルで、『金銭価値は社会価値を測る尺度としてゴミと化しつつある』ということだ。

なぜこうなったのか。
この金銭価値と社会価値の激しいデカップリングは、ここ20年ほどの比較的新しい現象であり、また地理的にもかなり局所的であると思われるのだが、これに関しては次の記事で論じることにする。

(※Fun Fact:Zuckerbergは日本の全電力会社の合計時価総額の3倍の資産を持っている。つまり日本の電力会社を全て買収し支配しても、資産が3分の2残る。実際にやろうとしても外為法の外資規制により無理だろうが)

(※Meta社の時価総額の日本市場分:将来期待CFの割引現在価値として理論上定義される時価総額を客観的な形で地域別に分割するのは本来困難だが、売上高CF比率が期間・地理で一定だと過程した場合、地理別売上比で按分すれば良い。具体的には、時価総額*日本売上/世界売上=時価総額*日本ARPU*日本MAU/世界売上で計算。数値はこちらのMeta社IR資料から抜粋。但し日本売上はFacebookとInstagramのみで構成と仮定。また日本ARPUはFacebookとInstagramで同額とし、北米 Facebook ARPU ($58.77)と中進国も含まれるヨーロッパ Facebook ARPU ($17.29)の平均($38.03)と推定。日本MAUはFacebookのMAU (2,600万人)とInstagramのMAU (3,300万人)をそれぞれこちらの資料から抜粋し合算)

(※日本の全電力会社の時価総額:大手10電力会社は東京電力/中部電力/関西電力/九州電力/東北電力/中国電力/北陸電力/四国電力/北海道電力/沖縄電力。これらの時価総額合計が6.9兆円。エネルギー庁の2022年データから、これら10電力会社の発電実績は日本全体の67%。発電量で外挿すると、全電力会社の時価総額は6.9兆円÷67%=10.2兆円)

  • この記事を書いた人

Y. Middleton

3児の父/海外在住/会社経営/個人投資家/米国公認会計士(USCPA)/公認システム監査人(CISA)/公認内部監査人(CIA)