離婚弁護士のインタビュー動画を20分ほど見たところ、以下の興味深い事項を述べていた:
- 婚姻の56%は離婚で終焉
- 子供や金銭的理由で離婚を我慢している夫婦は20%
- 上記を合わせると結婚の75%は失敗
- 失敗率が高いにも関わらず人々が結婚する理由は謎
- 離婚した人の86%は5年以内に再婚
- 結婚とは提供価値の交換であるから、金持ちがトロフィーワイフと結婚することに問題はなく、金と美貌の交換取引であることを後ろめたく思う必要はない
- 婚前契約を嫌がるのは、後で後悔するリスクが高いのでやめたほうが良い
この弁護士は明らかに結婚をトランザクショナル(取引的)なものとして見ている。弁護士である以上、結婚を取引契約と解釈する思考経路を持つのは当然だが、他の視点を持てない限り、なぜ人が結婚するのか理解できないのは必然である。
私を含め多くの人は、結婚を単なるトランザクションを超越した高貴な行為として見ている。婚姻関係は、自身と配偶者が、互いに相手を代替不能な唯一無二の存在と位置付けるところに大きな価値がある。
多くの人は、婚前契約を提案されると残念な気持ちになり、関係の解消を検討し始めうる。なぜか。婚姻生活上の相互利益や離婚後の権利関係を結婚前に協議することで、婚姻は、代替可能な機能を互いに提供し合う取引(ディール)に貶められる。機能は代替可能であるから、婚前契約は、相手を代替可能な存在として扱っていることを露呈させてしまう。トランザクションを超越した行為であるが故に結婚に価値を見出している人間にとって、婚前契約を提示してくる者は、結婚の意味を解さない失格者である。
この弁護士が言うように、結婚が単なる付加価値の交換である場合、金持ちとトロフィーワイフの結婚が蔑まれる云われは確かにないが、現に軽蔑される向きがあるのは、金と美貌の単なる交換取引に下賤さが感じられるからである。実際、そうした結婚の焦点は金と美貌という機能に過ぎず、それを提供する人物自体は付随的なものである。従って、より優れた金銭や美貌を持つ相手が現れた場合、乗り換えない理由はない。
では結婚の76%が失敗するにも関わらず、離婚者の86%が5年以内に再婚し、失敗を繰り返すのはなぜか。単一の理由があるとは思わないが、大きな要因の一つに、本能ではトランザクションを超越した婚姻関係を望んでいるにも関わらず、トランザクショナルな婚姻生活を送ってしまうが故に、無意識化で強く失望し、本能の求めに応じて関係のリセットと構築を繰り返すことがあるように感じられる。
離婚を経験した者の多くが、婚前契約を結んでおけばよかったと後悔するとのことだが、上記のように本能と行動の不一致が離婚の主要因となっている場合、後悔は無意味である。離婚後に権利関係の協議ができるのは、不幸な婚姻生活を通じて、配偶者との関係がトランザクショナルなものに格下げされたからである。結婚前の関係が非トランザクショナルなものであった場合、婚前契約の締結はそもそも不可能である(したら結婚の意味が消失する)。
なぜ人はトランザクションを超越した関係を求めるのか。トランザクションとは、機能を交換し合う取引であるから、同一機能を提供してくれるのであれば相手は代替可能である。然るに人は代替可能な部品であることを嫌い、唯一無二の存在であることを望む。愛する者との関係においては尚のことである。従って、自他を代替可能な存在に貶める行為は忌避される。
しかし現代社会は、あらゆる行為をトランザクショナルにする。恋愛や結婚も例外ではない。実際、恋活/婚活マッチングアプリを使う人々は、自他を指先一つでスワイプ可能な商品として扱う。自己と共に陳列された他者を商品として出し抜くべく自らを飾り付け、魅力的な買い手が現れるのを待つ。皆、尊厳ある唯一無二性を放棄し、交換可能な代替品に成り下がっている。
トランザクショナリズムの原因は新自由主義であるが、過去記事で散々批判してきたため、ここでは触れない。然るに、トランザクショナリズムは離婚率を上昇させる。他者を交換可能な代替品として扱う以上、少し気に入らない部分が出てきたら直ぐに代わりを探すのは必定である。そうして上昇した離婚率、つまりは失敗率を見て、人々は恐怖し、リスクをヘッジする。すなわち、いざとなったら相手をスムーズ代替できるよう、婚前契約を交わすなどして、ますますトランザクショナルな関係を志向するようになる。しかし本能ではトランザクションを超越した関係を求めているため、関係がトランザクショナルになるほど「これじゃない」感に苛まれ、不幸になり、関係の解消と構築を延々と繰り返す羽目になる。この無限トランザクションループが繰り返されるほど、マッチングアプリ事業者や離婚弁護士が儲かる一方、人々は疲弊していく。
愚かしい限りである。
この無限トランザクションループを断ち切るには、結婚をトランザクショナルに考えるのをやめ、自身にとって唯一無二の相手を幸福にする営みと捉え直すことである。それには何が必要か。
信頼である。
相手を幸せにするためであれば全てを犠牲にすることを厭わない献身性に対する、相互信頼である。これを婚姻的信頼と呼ぼう。
婚姻的信頼を中心に据えた関係を構築すると、なぜ互いを唯一無二の存在に高められるのか。婚姻的信頼は排他的でありながら時間と共に増幅するため、部外者の競合を不可能とするためである。
例を挙げよう。仮に、婚姻的信頼を数値化できると仮定して、結婚直後の配偶者に対する信頼が1、他者に対する信頼が0であったとしよう。配偶者以外と婚姻的信頼関係を結ぶのは配偶者を不幸にするため、婚姻的信頼関係はこれを抑制する(排他性)。この排他性が発揮され暫く経つと、信頼関係が深まり、数値は1から2に上がる一方、部外者の数値は0のままである。従って他者は配偶者を代替できない(2>0)。よって夫婦は互いに忠実であり続ける。また暫く経つと、さらに信頼が深まり、夫婦の数値は3に上がるが、他者は0のままである。この過程が続くと、100対0、1,000対0、100,000対0となっていく。つまり、時間が経てば経つほど、配偶者の代替は不可能となっていく。
従って、婚姻的信頼関係は一度構築されると、他者が入り込む余地なく、唯一無二性が最後まで維持される。端的に言えば、互いを永久に独占し合う構造がビルトインされている。
つまり、トランザクションを超越した婚姻関係とは、配偶者に互いを安定的に永久独占させる、婚姻的信頼の無限上昇ループ構造である。このようなループ構造は、婚姻的信頼関係を重視する人間同士が、信頼感を与える行為を互いに与え始めた瞬間から発生し、無限に続く。
よって、無限トランザクショナルループによる不幸を回避し、婚姻的信頼の無限上昇ループをもたらす関係を構築するには、婚姻前契約のような同時履行の抗弁権的メンタリティー(「お前がこれを提供してくれるなら、私もこれを提供してやろう」)を排除して、まずは自分から無償の愛を振りまくことである。その無償の愛に、無償の愛で応えてくれる者が現れたなら、その瞬間から、婚姻的信頼の無限増殖を期待して良い。
最後に、市場やビジネス、契約や取引、利潤や金銭といった視点で捉えた瞬間に価値が消失する物事があることを、人々は自覚するべきである。皆が、社会の趨勢に惑わされることなく、自身や愛する人の幸福を追求されることを願ってやまない。