国家運営は民主的であるほど良いか?知性主義者の見解、および阿呆共鳴現象を叩き潰す方法(後編)

前々記事では、新自由主義・無料広告モデル・SNSが合わさると阿呆共鳴現象が発生すること、民主政の推進により政治的アジェンダを民衆に委ねすぎると阿呆共鳴現象によりファシズムに陥り自滅することを述べた。
これを回避するには、新自由主義と阿呆共鳴プラットフォーム(無料広告モデル+SNS)をそれぞれ抑制する必要があり、前記事では新自由主義を抑止する方法を提示した。
本テーマ最後となる本記事では、新自由主義の抑止策を執行するための官僚機構強化と、阿呆共鳴プラットフォームを打破する方法を提示する。

官僚の権力強化

先進諸国の官僚機構は全体的に弱体化が進んでいる。
例えば私が子どもの頃の日本では「官尊民卑」という言葉が良く聞かれたが、過去20年で全く使われなくなった。官僚は叩かれ続け、その象徴である財務省は「ザイム真理教」と揶揄されるまでに至り、現状はむしろ「官卑民尊」とすら言える。
原因として、経済的事由と政治的事由がある。

まず経済的には、新自由主義が浸透するにつれ、市場経済の中で直接的に付加価値を生まない官僚機構を「無駄」と見なす機運が高まった。
次に政治的には、民主政を推し進める中で、選挙の洗礼を受けていない集団が国家運営を主導することは許されない、とする発想が強まった。

しかし前記事で示したように、新自由主義や民主主義が進みすぎると、主権者たる民衆は阿呆共鳴現象のためファシズムを選択し自滅する。従って、放置すると阿呆な行動をし出す民衆にはガードレールが必要である。選挙から隔離保護された権力を有する知的専門家集団たる官僚機構がそれである。

より具体的には、ド素人である主権者(及びこれを扇動するポピュリスト政治家)が政治的アジェンダを設定すると、ファシズムが紛れ込み自滅するので、アジェンダ設定は必ず官僚が実施し、主権者や政治家はそのアジェンダの中で意思決定をするのが望ましい。

20世紀後半の日本を生きた者であれば、これは「官僚主導」と揶揄された当時の在り方であると分かる。先進諸国は20世紀後半の日本に立ち返るべきである。そのためには、官僚の人事権を独立させた上で(日本は内閣人事局を廃止すべきである)、立法を通じて官僚機構の権限を強化する。

但し、官僚機構が強すぎると、官僚による寡頭政と化してしまう(最悪、文民統制が機能しない20世紀前半の日本と化す)。また主権者との見解一致や対話の機会があまりに乏しいと、官僚への信任が低下する。
これを避けるには、①政治経済的な意義の明確化、②行政における透明性強化、③民衆とのコミュニケーション増大が必要である。これらは、以下述べるように、「官僚の政治家化」と言える。

まず、①政治経済的な意義の明確化および②行政における透明性強化に関しては、省庁として実現を目指すKPI、及び国家財政がKPIに効く経路及び程度の想定、並びにこれらの結果を、毎年、簡素な報告書として公表すべきである(今も多種多様な報告書が出ているが、長大で分散しすぎている)。
要は官僚機構の成績表である。民衆は各省庁の行政活動がどのように自分の生活に役立っているのか、抽象的にしか理解していないため、「意味がないのではないか」、「無駄があるのではないか」と半信半疑な状態である。官僚が権力の正当性を維持するには、進んで結果へコミットする姿を見せる必要がある。
次に③民衆とのコミュニケーションだが、官僚機構はもっとメディアに露出し、自身らの意義を主権者に営業すべきである。幹部はテレビやweb動画に出て政策の進捗や将来の展望を語り、広報はあらゆるSNSにアカウントを開設し日常的に情報を配信し、民衆からの(マトモな)フィードバックには直接応答すべきである。

上記は「官僚の政治家化」と言えよう。私は知性主義者として、阿呆共鳴現象を利用する扇動的な国民民主党および代表の玉木雄一郎を嫌っているが、政策アジェンダ設定の手法には関心している。官僚出身の政治家が主導しているだけあって、(政策それ自体には誠実性が見られないものの)上記の①・②・③をある程度満たしている。官僚機構は、今の国民民主党のようなやり方を、阿呆共鳴現象を利用せず、また将来世代に対し誠実な政策を立案する形で、実施すべきである。

上記のような努力をしてはじめて、主権者は再び官僚に強い権力を託すことができる。こうして得られた強力な官僚機構により、新自由主義を抑えるための方策を強力に推進しつつ、次に見るように、阿呆共鳴現象の土壌となるプラットフォームを打破しなければならない。

阿呆共鳴プラットフォームの統制

阿呆共鳴現象は、新自由主義的風潮に無料広告モデルとSNSが合わさった結果、阿呆が共鳴し合い民主政を破棄するのであった(前々記事参照)。
無料広告モデルとSNSのセットを阿呆共鳴プラットフォームと呼ぶとして、これがもたらす弊害を抑えるにはどうすれば良いか?
無料広告モデルやSNS自体を禁止するのは、これらの利点や私権侵害に鑑みて行き過ぎであるから、MDM流布の違法化/厳罰化、及び情報配信の免許制が望ましい。

まずMDMとは、Misinformation(誤情報:悪意がない、事実に反する情報)、disinformation(偽情報:悪意がある、事実に反する情報)、malinformation(悪情報:悪意がある、事実に基づくが文脈を無視した情報)の略称であり、近年SNSで多く見られ、直近の米国大統領選や兵庫県知事選で結果を大きく左右した。
MDM流布の違法化/厳罰化は、言論の自由を制限することになるため、多くの先進諸国は及び腰である。名誉毀損や信用毀損等、既存の法的枠組みの中で対応する事例が見られるものの、基本的に当事者が、明確な損害を被った場合に賠償請求をする形となっている。特定人物/集団に対する明確な損害はないものの政治過程を歪めるMDM流布に関しては、法的に罰することが困難な状況となっている。これを変えるには、MDMそれ自体の違法化/厳罰化が必要である。
その弊害として、言論の自由に対する侵害や、政治的な事実認識を政府が認定することへの懸念が考えられるが、現に言論の自由は無制限ではなく(例:名誉毀損/信用毀損/ヘイトスピーチ解消法 等)、また司法当局は日常的に各種事件に関し事実認定をしている。制限のないMDM流布による社会的弊害は極めて大きくなっており、メディア企業のみならず、情報配信をする個人に対する規制が必要な段階である。

上記は事後的な罰則であるが、予防的な施策として、政治・経済に関し公に一定の情報配信をするには免許を必要とすることも、検討したほうが良い。例えば金融商品に関し公に一定の情報配信をするには投資助言業の登録が必要である。同様の規制を政治・経済・医療の分野でも作ったほうが良い。

まとめ

以上、本テーマを3つの記事に渡り掘り下げたが、長くなったため、概要を以下に改めてまとめる。

  • 新自由主義+無料広告モデル+SNS=阿呆共鳴現象(21世紀Ver.)
  • 阿呆共鳴現象は、民主政の主権者に専制政を選択させる(例:20世紀前半の先進諸国)
  • これを防ぐには、新自由主義を抑制し、阿呆共鳴プラットフォーム(無料広告モデル+SNS)を統制しなければならない
  • 新自由主義の抑制には、①蓄財効率の低下(増税/規制強化/公営化)、②資本の政治的影響力抑制(政治献金の制限/禁止)、③拝金主義の抑制(教育/公共財無償化)、④技術資本の分散(競争政策)を実施
  • 阿呆共鳴プラットフォームの統制には、①MDMの違法化/厳罰化、②情報配信の免許制導入を実施
  • 上記には強力な官僚機構が必要なため、立法により、独立人事権を含めた強い権限を与える一方で、①政治経済的な意義の明確化、②行政における透明性強化、③民衆とのコミュニケーション増大を課す

以下が本記事を含めた、本テーマに関する記事である。

  • この記事を書いた人

Y. Middleton

3児の父/海外在住/会社経営/個人投資家/米国公認会計士(USCPA)/公認システム監査人(CISA)/公認内部監査人(CIA)