金銭および国家への隷属から逃れる手段としての超国家投資家

私は自由を愛する。
自由とは、いつ、どこで、何をするかに関し、外部から圧力を感じずに選択できることであろう。

然るに昨今の新自由主義的な風潮は、個人に金銭的圧力をかける。
自由市場経済に立脚した政治経済体制は、他者の需要を満たさなければ生活が困窮する仕組みを通じて、個人に互いを支え合わせる良いメカニズムであるが(神の見えざる手)、私は己がこの機構の部品と化すことを本能的に拒絶する。

また新自由主義の蔓延による民主政の退潮から、専制的な風潮が強まるのも当然ながら好まない。専制的政治は、その定義からして自明に、自由を破壊するからである。

過去の政治関連記事(末尾のリスト参照)では、そうした世相に対するマクロな処方箋を書いたが、本記事では個人すなわちミクロな対処法を考えたい。

とはいえ結論は至極単純である:
個人投資家として十分な資産を築き、複数の国で安定的なビザ及び拠点を持つことである。

すなわち、資本(=企業)や国家に選ばれるのではなく、選ぶ側に立てば良い。

実際、金銭への隷属とは、収入を提供する存在(雇用者や顧客)に服従することである。被用者は雇用者に、雇用者は顧客に従属する。従って自由の身となるには、雇用者や顧客を持たずして収入を確保する手段を得る他ない。そのためには、現代経済社会における指揮命令系統の最上位、すなわち株主(=資本家)になる他ない。
なお株主といえばファンドマネージャーを思い浮かべるかもしれないが、彼らは資金提供者たる顧客に従属する被用者にすぎないわけであるから、全くもって自由ではない。従って真に自由な存在となるには、自身の資産を自由に差配する個人投資家(外部出資者のいないオーナー経営者含む)となる他にない。

次に、国家に対する隷属は、特定の国にロックインしているために発生する。気に入らない国からはさっさと移動し、ライフステージに応じて、様々な国の良いところだけをつまみ食いできれば言うことはない。これを実現するには、それぞれの国で、様々な制約を気にせずに済むよう、長期滞在可能なビザを持つ必要がある。
国籍や永住権に基づく市民権がこれにあたるが、維持条件が物理的に達成困難なものとなっており、3つ程度であればともかく、5つ以上保持し続けるのは現実的ではない(特に滞在期間に関する条件は、体が一つしかない以上、解決が事実上不可能である)。一方でより条件が緩い投資家/起業家ビザ等に関しては、制度の目まぐるしい変更に鑑みると、長期安定性に著しく欠けると言わざるを得ない(実際に欧州各国では、不動産価格の高騰を受けて、不動産購入に基づく投資家ビザが立て続けに廃止された)。従って、国籍または永住権により2~3ヵ国の長期安定地帯を保ちつつ、維持条件の緩い投資家/起業家ビザを2~3つ追加するのが望ましい。

と、このようなわけであるから、上記のような生き方を超国家投資家と呼ぶならば、金銭及び国家への隷属から逃れる方法は、超国家投資家となる他にはないである。

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  • この記事を書いた人

Y. Middleton

3児の父/海外在住/会社経営/個人投資家/米国公認会計士(USCPA)/公認システム監査人(CISA)/公認内部監査人(CIA)